家を作っていく工程の中で、屋根の着色やコラソンの目入れは、わりと楽しみにしている作業だ。一つ一つに個性が生まれていく瞬間であるし、出来たものが並ぶと、カラフルできれいだ。単純に見てるだけでうれしい。
また、屋根を塗りながら、なんとなく窓を描いてみて、それからそこにライトのような目を描いて、コラソンというキャラクターのようなものができたように、どんどん創作が広がっていこれも楽しい。
ただ、大事な工程だと思う一方、無塗装の生成りのままで出すべきかなと考えることも多くなった。これまでも無塗装のものを売り物として置いてはいて、ただ、なるべく着色の工程を省きたくなくて、あまり積極的になれずにいた。
でも、ふと気付いたのは、作り手が楽しい作業なんだから、使う側も楽しい作業になるんじゃないかということ。
それに、こちらで着色をしない分、作業工程は大幅に短縮できて、その分値段も抑えられる。また、着色なしで木の素材感が好きな人ならなおさら生成りの方が良いということになる。
でも、色も目も描いていないただの家の形では、どこにでもある量産品と変わらない気もする。実際、100円ショップに似たようなものもある。自分が作る意味があるのだろうかと考えてしまう。
ただ、量産品を眺めていると、形がそろいすぎているなとも思う。大量に作ることで安くしているのだから当然なのだけど、面白みに欠けるというか、並んだ時にどうしても安く見えてしまう原因だろう。そこが量産品と手仕事の違いになるのかもしれない。もちろん、均一なものが必要な場面はあるし、技術不足からくるふぞろいを「味」とごまかしてはいけないけれど。
その微妙な違いに、親しみのようなものが生まれるようにすること。これが手仕事ならではの、大切な要素だ。それがあれば、一見量産品と変わらないようなものでも、あらためて作っていく意味はあるのだろうと思った。